映画レビュー『真珠の耳飾りの少女』|「描かれた少女」は誰か

振り向いた少女が、こちらをじっと見つめている。

背景は真っ暗。
画面から読み取ることができるのは、1人の少女の姿と光源だけだ。

吸い込まれそうな黒の中で、瞳と唇、耳飾りだけが光を得てキラリと輝いている。
真っ青なターバンと黄色、黒の対比が実に美しい。

また明暗のはっきりとしたコントラストが、人物のリアルさを際立たせている。

静止画なのに、今にも動き出しそうな。
手を伸ばせば、絵画の世界に触れられそうな。

そんな柔らかな光と、人物を際立たせる黒が人を惹きつけてやまない。

フェルメール。
彼の作品は、光と闇の表現で成り立っていると感じる。

名画に隠された真実

フェルメールと聞けば、例え美術にあまり明るくなくとも頭に浮かぶ作品があるだろう。

青いターバンを頭に巻き、こちらを振り返っている少女の図だ。

そう、「真珠の耳飾りの少女」や「青いターバンの少女」と呼ばれているあの作品である。

フェルメールについては未だ不明点も多く、現存している作品も35点と少ない。

この絵に描かれている少女についても、どこの誰なのか、何のために描かれたのかも未だ分かっていない。

そんな”謎”をストーリーとした映画がある。
映画『真珠の耳飾りの少女』だ。

真珠の耳飾りの少女

映画あらすじ

この映画は、もし「真珠の耳飾りの少女」が”フェルメールの家で働くメイド”だったらとのストーリーで構成されている。

主人公のグリートは、家が貧しいためフェルメールの家でメイドとして働くことになった少女だ。

アトリエの掃除などを通じてフェルメールと交流するうちに、グリートはいつしかその芸術的センスを見出され、絵画制作の手伝いをする様になる。

ある日フェルメールは、パトロンにグリートを給仕役とした集団肖像画を描いて欲しいと頼まれる。
しかし、フェルメールは絵画制作に打ち込む内に次第にグリートに魅せられていってしまい……

「描かれた少女」は誰か

この映画の最大の魅力は、まるでフェルメールの世界に入り込んだのかの様に感じさせてくれることだろう。

どこのシーンで切り取っても、まるで一枚の絵画の様に美しい。

しかもただ美しいだけではなく、フェルメールの絵画の特徴である「光と闇」を最大限に活かして撮影されている。

また、音楽もその世界観を構成する手助けしている。

光と影を活かした「フェルメールらしさ」を最大限に表現しながら、我々を美しい絵画の世界へと誘ってくれるのである。

さらに、当時の生活の様子が垣間見れるのも魅力的だ。

特に見応えがあるのは料理のシーンであり、食材の色鮮やかさが目を引き、思わず食べてみたいと感じさせるほどだ。

自然や四季の描かれ方も自然で、シンプルなシーンとの対比も美しい。
自然や生活に関するシーンが多い理由は、フェルメールが風俗画を多く描いたことを意識しているのではないかと感じる。

そして何よりも注目すべきは、主人公の少女であろう。

透き通るように白い肌。
真っ直ぐな眼差し。
常に覆われた髪。

真っ直ぐで観察力があり、芸術に対する興味と好奇心がある。

どのシーンも美しいものばかりであったが、グリートが「真珠の耳飾りの少女」のモデルを勤めることに決まったシーンは忘れられない。

いつもとは異なった青いターバンを巻き、
口を少し開いて唇を何度か舐める姿は、なんとも艶めかしい。

グリートに妻の耳飾りをさせる為、フェルメールが彼女の耳にピアス穴を開けるのも、官能さと背徳心を感じさせる。

これが本当の話だと言われても、何も疑わず信じてしまうかもしれない。
そんなリアリティがそこにはあった。

さらに、アトリエの様子も見逃せない。
「水差しを持つ女」に見られる家具や窓枠などがそのまま表現されている他、先輩メイドとして働く女性が「牛乳を注ぐ女」に描かれている人物にそっくりな点も、ユニークなポイントだ。

アトリエ内には現存しているフェルメールの作品が並び、製作風景が目に浮かぶ様である。

光の画家、フェルメール。

彼が本当に描きたかったものとは何なのか。
その答えが、少し見えた気がした。

まだ見ぬ彼の作品の数々に、思いを馳せる。

真珠の耳飾りの少女

(※この記事は、以前別ブログにて公開していたものに加筆修正を行った記事です)