ミュージカル『NINE』の感想と考察|人を選ぶストーリーだが、演出に惹かれる作品

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11月22日に、城田優さん主演の『ミュージカルNINE』をライブ配信で観劇しました。

原作である映画など全く予習せずに観たので、途中でストーリーを追うのに必死になってしまった部分もあるのですが、久しぶりのミュージカルを楽しむことができました。

全体的な感想としては、人を選ぶ作品だと感じています。
「面白かった!」と感じる人がいる反面、「で、何が言いたいの?」となる人も多いかな、と。

他のミュージカルのようにはっきりとした起承転結があるお話ではないので、ラストで置いてけぼりをくらったような感じを受ける人も多いかもしれません。

私も観終わった後は「えっ??どういうこと?」となったものの、後からこの部分はこうなのでは?あれは伏線だったのかな?など色々考えられて楽しかったです。
ストーリーが好きかと聞かれればウーンという感じなのですが、話よりも演出が素晴らしく、そちらの方が印象に残りました。

ちなみに原作の映画があるらしく、今になって最初に映画を観ておけばよかったかなとちょっと後悔しています。

この記事では、簡単に感想や考察をまとめてみたいと思います。

ミュージカルNINEのあらすじ

スランプに陥っていたイタリア人映画監督のグイド・コンティーニは、次の映画の構想が浮かばないばかりか、結婚生活に愛想をつかされた妻のルイザに別れ話を切り出されてしまう。

妻との関係修復とスランプ打開のためベネツィアを訪れるが、マスコミや愛人・映画プロデューサーなど複数の女性がグイドの元へ押しかけてきて、妻との溝は深まるばかり。
女性たちに翻弄されるグイドはしだいに幻想の世界に迷い込み、少年時代に失われた愛を追い求めはじめる。

迷走するグイドは何とか新作映画の撮影をはじめるが……

ミュージカルNINEの感想

ここでは、2つのポイントに分けて感想を紹介します。

  • ストーリーと
  • キャスト

※ガッツリネタバレがありますのでご注意ください。

ストーリーと演出

登場人物はグイド以外はすべて女性で構成されており、物語が進むにつれて、グイドと関係のあるさまざまな女性たちが登場します。

出てくる女性は合計で8人。
タイトルのNINE=9には、この女性たちにグイドを入れると9人になるという意味も含まれているのでしょう。

一幕はグイドがベネツィアで女性たちに追い回されるシーン、二幕はグイドが幻想世界に飲み込まれ、主に少年時代を思い起こすシーンで構成されています。

特に一幕はグイドがひたすら追っ手から逃げるシーンばかりだったので、正直展開が分かって少し退屈してしまいました。
一番目を引いたシーンはやはりフォーリーベルジェールでしょうか。
(グイド出てきてませんが……)

二幕は少年グイドの登場により、理解し難かったグイドの心の中が少し理解できたように感じました。

城田優演じるグイドはなんだか複数の女性と関係を持つような人間に見えなかったのですが、考えるうちに「グイドは少年時代に得られなかった母からの愛をどこかで探し求めているうちに複数の女性と関係を持ち、消化できない気持ちを映画にぶつけていたのでは」という答えにたどり着きました。

グイドはずっと母からの愛を求めているにも関わらず、母が気にしているのは外からの評判や、息子の将来の職業といった外面だけに留まっています。

また母が愛しているのは9歳になる前のリトグイドであり、大人のグイドに全く愛情を感じられない点も母への愛を探し求め続ける原因になったのではと感じました。

「グイドの唄」でも分かるように、グイドは人生を左右させる出来事が起きた「9歳」の精神年齢を大人になった今も引きずっています。

つまり彼の中に存在する9歳のグイドこそが才能であり、リトルグイドの消失=映画が作れなくなることを表現しています。

グイドはリトルグイドが消滅することで才能のなさを実感し絶望するため、幻聴などのスランプによって引き起こさ得れた現象は、映画監督としての死へのカウントダウンが始まっていることを意味しているのではと考えました。

演出で特に印象的だったのは、9歳のグイドが2つの虐待を受ける場面で、大人のグイドが逆さになり階段からずり落ちる場面です。

リトルグイドが虐待を受ける様子を見てダメージを受けるグイドが、まるでキリスト降架のように見えました。
今思えば、ミッションスクールに通うグイドの”信仰の死”を意味していたのではと思います。

グイドが司教と話をしている場面は一人二役の演技に気を取られてあまり集中できていなかったのですが、グイドの信仰についても注目してみると面白かったのかなと感じました。

キャスト

次にキャストについて。

主演の城田優さんが特に素晴らしかったです!
実は城田さんが出演されている作品を観るのは初めてだったのですが、歌もお芝居も凄くエネルギッシュで感動しました。

ずーっと出ずっぱりですし、作品の内容もヘビーなので、グイドを演じ続けることは多くのエネルギーを必要とすると思います。
この状況でさまざまなことに気を使いながら作品を作り続けることは難しいでしょうが、千秋楽まで頑張って欲しいです。

またグイドの妻は、咲妃みゆさんで本当によかったと思いました。
彼女の演技力は宝塚時代から知っていたものの、卒業後の舞台に出演しているのを観るのはこれが初めてでした。

ルイザはそれ程多くのセリフがある訳ではありませんが、ただ立ってグイドを眺めているだけでも感情の変化を表現していかなくてはならない難しい役どころです。
高い演技力と歌唱力が求められるからこそ、彼女がキャスティングされたのだと思います。

そしてなんと言っても忘れられないのが、映画プロデューサー役の前田美波里さん。
もうなんだか彼女が一幕のすべてを持っていってしまった気分でした。

ラ・フルールはきっと、フォーリーベルジェールでいつもキラキラと輝いていたんだろう。そして彼女は、そんな自分がきっととても好きだったのだと感じました。
今では彼女以外のラ・フルールは考えられません。できればショーのシーンだけでももう一度観たい。本当に素晴らしかったです。

ラストについての考察

恐らく一番解釈が分かれるのは、ラストについてでしょう。
ラストでグイドが死んだのか、生きているのかという点で「どうなの?」と感じた方が多いのではと思います。

私の答えは、「グイドは死んでいない」です
正確に言えばグイドは肉体的には死んでいないが、映画監督としての死を迎えたのではないかと考えました。

自分の才能のなさを実感したグイドは、自分の側に置かれた銃を手にします。
そして銃の引き金を引くものの、銃に弾はこめられていないため、命を落とすことはありませんでした。

結果としてグイドは死にませんが、銃の引き金を引くシーンの後で、妻を含めた女性たちは彼のもとを去っていってしまいます。
つまり銃=今まで関わりのあった7人の女性との関係が切れることを表現しているのではと考えられます。

またラストでグイドと妻のルイザ以外が黒い喪服のような服を着ていることも気になりましたね。

グイドとルイザだけが白い服を着ていることから、グイドの母が一度愛想をつかした夫の元へ戻ったように、多くの女性の中から妻だけがグイドの元へ戻ることを表現しているのではと感じました。

おわりに

色々と書きましたしストーリーが好きな訳ではないのですが、演出の細かな点に注目してみたいので機会があればもう一度観たいですね。

また原作の映画『8 1/2』の評判がとてもよいので、ぜひ一度観てみたいです。

舞台とはエンディングが異なるようで、その点も気になっています。