宝塚歌劇雪組公演『fff-フォルティィシッシモ-』の感想|ベートーヴェンの苦悩を描いた、新しい愛への気付きの物語

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2月8日に、宝塚歌劇雪組公演『fff-フォルティィシッシモ-』をライブ配信で観劇しました。

応援していたスターさんである望海さんと真彩さんの退団公演かつ、上田久美子先生の脚本となれば、観ないわけにはいきません。

改めて、映画館に行かずとも自宅で生中継を観られることに感謝。
新型コロナの流行で嫌なことばかりでしたが、こればかりは有り難いと感じています。

さて、肝心の公演内容ですが、今までの上田先生の作品とは異なった印象を受けました。

上田久美子先生の手掛ける作品は大好きなので、今までの作品はほぼ全て観ています。

先生の作品を観たことがある方は分かってもらえると思うのですが、先生の作品は割と流れが読めると言いますか、あらすじを読んだ段階である程度ラストが予想できるんですよね。

しかし、今回の『fff-フォルティィシッシモ-』はその予想を大きく外れ、今までの先生の作品とは異なった印象を受けました。

ベートーヴェンをテーマにした作品と聞いていたので、てっきり『翼ある人々』のような話だと思いこんでおり…..

(ちなみに『翼ある人々』とは、2014年に宙組で上演された、ブラームスを主人公にした作品です。上田久美子の描く美と悲がたっぷりと詰まった感動作なので、興味がある方はぜひ観てください。)

舞台がはじまってからは思わぬ展開に「えっこれってコメディじゃないよね…?」と頭がハテナで一杯になったのですが、最後まで観て、「なるほど、そう来たか!」と少しすっきりしました。

これは観るほど新しい感情や気付きが生まれる、所謂「スルメ作品」なのだと思います。もう一回観たい。

では、ここからは、ストーリーや演出についての感想を少し詳しく書いていきたいと思います。

ストーリーについて

正直に言うと、途中まで話の流れがよく掴めずに混乱しました。

死後の世界からの描写だったので、これはエリザベートのように過去の再現で話が進んでいく形なのかな?と思いきや、まったく違いましたね。

なるほど、ベートーヴェンの行動次第でモーツァルトやヘンデルが天国へ行けるかどうかが決まると。
バッハは教会音楽をつくったから天国へ入ることができ、モーツァルトたちは貴族へ捧げる音楽をつくったため天国へは行けないというのは、なんだか心が狭い神だなと思いましたが…

一方現世では、ベートーヴェンとゲーテ・ナポレオン・謎の女という3人の人物が登場します。

「ベートーヴェン」と聞くと偉大な作曲家とのイメージが強いですが、作中のベートーヴェンはとにかく不幸な人物であるとの印象が目立ちます。

幼児期の父親からの虐待、憧れたナポレオンへの失望、求婚した女性にはフラれ、耳が聞こえなくなり、権力者からは嫌われる。

自死を試みたことがあるとのエピソードが残っているそうですが、劇中でも何度か拳銃を手にする姿が描かれていました。

とにかく生きることが辛かったのでしょう。
劇中でベートーヴェンが「なぜ生きるのか」と問うシーンで、ナポレオンが「苦しむために生きる」と答えていることが印象的でした。

生=不幸であり、生きるとは、不幸に戦いを挑むことであると。
ベートーヴェンが生み出した名曲の数々は、困難と苦悩と悲しみを織り交ぜて作られたのだと感じました。

そんなベートーヴェンとは対照的に活躍し、革命を広めようとするナポレオン。

彼は不幸なベートーヴェンとは反対の存在として、戦争に勝ち続けていきます。彼の理想はフランス革命を広めることでしたが、反対に市民は長引く戦争に怒りを覚え、ナポレオンへの恨みをつのらせていく様子が描かれていました。

ベートーヴェンはナポレオンの姿に憧れを抱いていたものの、皇帝となった彼に失望し、音楽で理想を追い求めます。

そして耳が聞こえなくなり、憧れの人に失望したベートーヴェンにそっと寄り添い、声をかけてくる謎の女。

謎の女は、最後まで謎の存在として描かれます。
時には耳の聞こえないベートーヴェンの通訳者として。時には、親友のように。

作曲に没頭し、頭の中の音楽を形にすることを追い求めるベートーヴェン。気がつけば一人ぼっちで、謎の女だけが自分の側にいたことに気が付きます。

そう、彼女の正体は、「人間の不幸」でした。
なんと不幸を具現化した存在こそが、謎の女だったのです。

エリザベートでは「死」という存在が一人の少女に恋をしたところから話が進みますが、この作品では「謎の女」が不幸とはわからないままストーリーが展開します。

作中で薄々ロミオとジュリエットの「愛と死」のような存在かなとは思っていたのですが、まさか不幸の具現化だとは思いませんでした。

そしてラストで謎の女の正体を知ったベートーヴェンは、不幸はもう一人の自分であることを受け入れ、それが「運命」なのだと悟ります。

その後不幸を受け入れ、「運命」を知ったことで書いた作品が『喜びの歌』でした。

ベートーヴェンは不幸こそも含めて運命であり、それこそが我が人生であると感じたのでしょう。
喜びの歌を生み出したベートーヴェンが、作中ではまったく見られなかった晴れ晴れとした笑顔であることも印象的でした。

不幸な役が多かった望海風斗ですが、その役すべてとの出会いが「運命」だったのだと先生は表現したかったのかもしれません。

同じく上田先生が脚本・演出を手掛けた退団公演『神々の土地』とは大きく異なった作品で、これが上田先生が望海風斗で最後に表現したかったものなのだなと考えると、また想いが変化します。

正直一回観ただけでは理解しにくい作品ですが、高い表現力を持つトップコンビだからこそ完成できた芝居なのでしょう。
望海風斗の退団公演が、音楽の天才であるベートーヴェンを描いたもので本当によかったと感じています。

さらに上田先生はベートーヴェンを退団公演のテーマに選ぶことで、望海風斗の苦労も多かった宝塚人生の集大成としたかったのかもしれません。

改めて、上田久美子の脚本・演出の美しさとストーリーの組み立てに感動した一作でした。

上田先生が描きたかったものについて考えてみる

ここまでグダグダと書き進めてしまいましたが、そもそも上田先生は何を描きたかったのかについて最後に考えてみます。

あらすじにもある通り、上田先生は「どうして苦悩の多かったベートーヴェンが、至上の喜びの歌を完成できたのか」を考えてみたかったのでしょう。

失恋、孤独、失聴…。それでもなぜ彼は、至上の喜びを歌う「第九」を完成させることができたのか。
引用:宝塚歌劇

おそらく先生が出した結論は、「ベートーヴェンが不幸を含めた運命を受け入れたから」ではないかと思います。

そしてその不幸を受け入れるまでの様子を表現するために、「謎の女」という存在しない人物を作り出したのではないでしょうか。

これは単なるラブストーリーではなく、不幸という「もう一人の自分を愛する」という他の話とは少し変わった愛によって成り立っている話なのではと考えます。

新しい自分との出会いが、至上の喜びの歌の誕生につながったと考えると自然ですね。
史実とは異なる部分も多いのでしょうが、作中で使用されていた曲をもう一度じっくりと聞いてみたいと思います。

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