福岡県立美術館・コレクション展Ⅰ「宝物のような日常」を訪れて

2021年4月3日に、福岡県立美術館で開催されている コレクション展Ⅰ「宝物のような日常」に行ってきました。

この展示会はその名の通り「日常」をテーマとしており、福岡の風景や飾らぬ日常の様子、日々当たり前のように使用しているものなどを描いた作品を中心としたものです。

「宝物のような日常」展について

同展は、「新型コロナの流行により日常が”非日常”となってしまった現在、所蔵品を通してありふれた日常に目を向けてみよう」との想いによって開催された展示会です。

展示室内は、第1章「いつもそこにあるもの」第2章「人、小さな声、大切な存在」、第3章「見つめる先にあるもの」の3つの章に分けられており、絵画だけでなく版画や立体・写真まで、計31作家・61作品がずらりと並びます。

第1章「いつもそこにあるもの」は、のどかな風景や家具・果物など、日常生活の中で、目立たずひっそりと置かれているものを描いた作品を中心に。第2章「人、小さな声、大切な存在」では、日々の生活の様子を切り取ったかのような作品が。第3章「見つめる先にあるもの」では、人の”視線”を意識した作品や自然の美しさを感じられる作品が展示されていました。

展示作品はすべて福岡県立美術館が所持しているもので、福岡出身の作家や、福岡の景色を描いた作品も多く飾られています。
福岡県出身の画家、江上茂雄や髙島野十郎の作品は特に目立っており、有名な作品である『蝋燭』 も展示されていました。

さらに、同展では鑑賞のヒントが掲載された冊子『作品との対話』を配布。
冊子には芸術鑑賞のための”新しい視点”が複数書かれており、冊子に書かれたヒントを参考にしながら作品を楽しむことで、静かに作品と向き合えます。

この冊子、すごくよかったので、これから展示に行く方はぜひ手に取っていただきたいです。
美術館によく行く人にも、あまり美術館は得意ではない人にもおすすめしたい内容で、他の展示会にも持っていきたいなと感じたほど!内容は後ほど紹介しますね。

(※ここではあまり内容を紹介できなかったので、以下の記事で紹介しています)

【福岡県立美術館】鑑賞の冊子『作品との対話』から、美術館での過ごし方のヒントをもらう

印象的だった作品

「日常」という言葉は、曖昧なものだと感じています。
日常とは〇〇だと言葉にするのも難しく、かと言って表現するのも容易ではない。
そして日常が存在しているうちはその重みに気が付かないが、ある日突然失われると重要性について誰もが実感する。

展示室を入るまでは「日常をテーマって、どんな作品?」とイメージがあまり掴めていなかったのですが、作品を1つ1つ眺めているうちに、日常にひそむ美しさや尊さを感じられるようになり、この展示会が開催された意味について改めて考えさせられました。

ここでは、特に印象的だった作品をそれぞれの章に分けて紹介したいと思います。

(会場内撮影禁止だったので、画像がなくすみません……!面白そうだなと感じていただけた方は、ぜひ会場に足を運んでみてください)

第1章「いつもそこにあるもの」

第1章では、風景画や静物画が主に展示されていました。
特に印象的だったのは、江上茂雄の「赤の玩具」・坂本繁二郎の「放牧場」です。

「赤の玩具」は真っ赤な背景におもちゃが置かれている様子を描いたものなのですが、画面の中央に天狗のお面があり、インパクトがすごくて。最初はなんだか怖い絵だなーと思ったものの、見入ってしまい、目が離せなくなりました。

「放牧場」は馬の様子を描いたもので、どこか印象派っぽい、幻想的な雰囲気が感じられる絵でした。「赤の玩具」と比べると印象が薄いのですが、いつまでも見ていたくなる絵だな、と。なんだか心が穏やかになる感じがしていいなと感じた作品です。

第2章「人、小さな声、大切な存在」

第2章では、働く人やバスを待つ人・椅子に座る人など、日常の一瞬を切り取ったような人の様子を収めたような作品が並んでいました。

好きだなと感じた作品は蓮尾辰雄の「母子像」で、日本画の柔らかな感じが赤ちゃんの丸さや、母親から感じられる柔らかな雰囲気に合っていて、気がつくとしばらくじっと見つめていました。

第3章「見つめる先にあるもの」

第3章は1章・2章とは少し変わった作品がたくさん並んでいて、3つの章の中では一番「面白い」と感じた章でした。絵画ではなく立体や版画なども多く並んでいて、分かりやすい”日常”は少なく、日常について少し考えさせられた章でもありました。

最初は「何を伝えたい章なのだろう?」と不思議に感じていたのですが、ある一枚の絵の前に来たときに、まるで時間が止まったかのように感じました。

それは蓮の池を描いた、藤田吉香の「蓮池荷風」という作品です。

濃紺が広がる空。天に向かってのび、美しい花を見せる蓮の花。金色の学がまるで夜空に浮かぶ月の光に思えて、神秘的な風景が目の前に広がっているかのように感じました。

目の前にベンチがあったので、しばらく座ってぼぅっと絵を眺めて。せっかくだからあの冊子を開いてみようと思い、ぱっと開くと、こんな言葉が表れました。

「あなたがふと立ち止まる 向こうがわから声がきこえる」

その言葉を見た後で絵をもう一度見ると、蓮が風でそよそよと揺れる音や、虫の音などが聞こえてくるような感じがしてきて、ますます絵の前から離れがたく感じました。この絵との出会いが、展示会を訪れる意味だったのかもしれません。

「日常」について改めて考える

日常とは、非日常の訪れにより感じるものです。
誰かが退屈で平穏だと感じている日々は、いつ失われるかわかりません。

この展示会を訪れ、日常はだからこそ尊く、美しくあるのだと感じました。日常とは現在でもあり、過去でもあります。”非日常”の中で、”日常”の展示を観る。そこに、大切なヒントが隠されているようにも感じています。